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時系列まとめ

キングダム

既刊80巻・全16編を、国内統一編・六国征覇編の2つの章に分けて整理しています。

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章を選ぶと、その章の編と収録巻が出ます。上の帯は全80巻の中での位置です。

作中年表(各編で判明したこと)

最新80巻までのネタバレを含むため、未読の方はご注意ください。

作中の年代(紀元前)で表し、古い順に並べています。1巻は紀元前245年(王弟・成蟜の反乱)です。

春秋時代〜戦国時代前半1件

  1. 約400年前(穆公の時代)
    秦と山の民の盟
    秦の穆公は山の民と友好を結んでいた。のちに途絶えたこの盟を、政は楊端和との会談で復活させる。
    王都奪還編で判明

昭王と六大将軍の時代11件

  1. 昭王の時代
    王騎と摎
    摎は昭王の娘でありながら、王騎の家で召使いとして育てられた。のちに六将となった摎は、城を百取ったら王騎の妻になると誓っていた。
    馬陽防衛編で判明
  2. 昭王の時代
    六大将軍
    昭王の時代、白起・王騎ら六人の大将軍には、王の許しなく戦を起こせる「戦争の自由」が与えられ、中華に秦の名を轟かせた。
    刺客急襲編で判明
  3. 昭王の時代
    廉頗と六大将軍
    趙の三大天だった廉頗は、王騎ら秦の六大将軍と何度も矛を交えた好敵手だった。
    山陽平定編で判明
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  1. 昭王の時代
    藺相如と十傑
    趙峩龍と尭雲は、かつての趙の三大天・藺相如に仕えた「藺家十傑」の生き残りで、藺相如の言葉を胸に戦い続けていた。
    鄴攻略編で判明
  2. 紀元前262年
    呂不韋と子楚
    商人だった呂不韋は、趙で人質になっていた秦の王族・子楚(政の父)に目をつけて援助した。のちの太后となる趙姫は、もとは呂不韋の女だった。
    山陽平定編で判明
  3. 紀元前260年
    長平の戦い
    秦の白起が趙軍を破り、降った趙兵40万を生き埋めにした。万極はこの戦いの生き残りで、趙の秦への憎しみの源になっている。
    合従軍編で判明
  4. 紀元前259年
    政の誕生
    政は、趙に人質として送られていた秦の王族・子楚の子として、趙の王都・邯鄲で生まれた。
    刺客急襲編で判明
  5. 紀元前253年
    摎の死
    馬陽を攻めた摎は、趙の龐煖に討たれた。怒った王騎は龐煖を退ける。王騎と龐煖の9年越しの因縁はここから始まる。
    馬陽防衛編で判明
  6. 紀元前253年
    紫伯と火龍の投獄
    紫伯の想い人・紫季歌は太呂慈のもとへ嫁がされ、殺された。怒った紫伯は仇を討ち、紫伯・凱孟・霊凰ら火龍は牢に入れられた。
    著雍攻略編で判明
  7. 紀元前251年
    政の邯鄲脱出
    趙で虐げられて育った政を、闇商の紫夏が関所を抜けて秦へ送り届けた。紫夏は追っ手から政を守って命を落とした。
    刺客急襲編で判明
  8. 紀元前251年
    昭王の遺言
    昭王は死の間際、王騎に「戦に慈悲は無用なれど、奪い取った地にある民は奴隷に非ず。虐げることなく自国の民として同様に愛を注ぐこと」という遺言を託し、仕えるに値すると思う王にだけ伝えるよう命じていた。王騎は馬陽への出陣前に、これを政に伝えた。
    馬陽防衛編で判明

政の即位〜1巻3件

  1. 紀元前247年
    政の即位
    父・荘襄王の死により、政は13歳で秦王に即位した。実権は丞相の呂不韋が握っていた。
    王都奪還編で判明
  2. 紀元前246年
    羌象の死
    羌族の女剣士が殺し合って次の蚩尤を決める「祭」で、羌瘣は姉同然の羌象を失った。
    刺客急襲編で判明
  3. 紀元前246年
    幽連の企み
    「祭」で羌象が命を落としたのは、蚩尤の座を狙う幽連の企みによるものだった。
    合従軍編で判明

紀元前245〜238年(国内統一編)13件

  1. 紀元前245年
    王弟・成蟜の反乱
    成蟜と左丞相・竭氏が反乱を起こし、政の影武者になっていた漂が命を落とす。政は信・昌文君・山の民とともに王都咸陽を取り戻した。
    王都奪還編で判明
  2. 紀元前245年
    蛇甘平原の戦い(信の初陣)
    王弟の反乱から3か月後、麃公率いる秦軍15万が魏の滎陽を目指して出陣し、蛇甘平原で呉慶の魏軍と激突した。秦は呉慶を討って勝つが、滎陽は取れずに引き揚げる。
    蛇甘平原編で判明
  3. 紀元前245年
    政の暗殺未遂
    蛇甘平原の戦いから3か月後、王宮に刺客団が放たれた。首謀者は丞相・呂不韋だったが罪には問えず、政陣営は竭氏の残党を取り込んで力を蓄える。
    刺客急襲編で判明
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  1. 紀元前244年
    馬陽の戦い・王騎の死
    韓を攻める秦の隙を突き、龐煖率いる趙軍が馬陽へ侵攻。王騎は迎え撃つが、李牧の軍に挟まれ、龐煖との一騎打ちのさなかに討たれた。
    馬陽防衛編で判明
  2. 紀元前243年
    秦趙同盟
    趙の宰相・李牧が咸陽を訪れ、秦と趙の間に同盟が結ばれた。
    山陽平定編で判明
  3. 紀元前242年
    山陽攻略
    蒙驁率いる秦軍が魏の山陽へ侵攻し、流伊平野で廉頗の魏軍を破った。秦は山陽を手に入れ、のちに東郡とする。
    山陽平定編で判明
  4. 紀元前242年
    劇辛の死
    趙の龐煖が燕へ攻め込み、燕の将軍・劇辛を討ち取った。
    山陽平定編で判明
  5. 紀元前241年
    合従軍の侵攻
    楚・魏・趙・韓・燕の合従軍が秦に攻め込んだ。秦は函谷関と蕞を守り抜き、合従軍は斉へ攻め込んだのちに解散する。この戦いで麃公が戦死した。
    合従軍編で判明
  6. 紀元前240年
    蒙驁の死
    合従軍との戦いの翌年、秦の大将軍・蒙驁が病で亡くなった。同じ年、宮女の向が政の娘・麗を産む。
    屯留編で判明
  7. 紀元前239年
    成蟜の乱
    屯留の代官・蒲鶮が成蟜を捕らえ、その名で反乱を起こした。壁と飛信隊が屯留を取り戻すが、成蟜は命を落とす。
    屯留編で判明
  8. 紀元前239年
    著雍の戦い
    騰率いる秦軍が魏の要所・著雍を攻め、呉鳳明と火龍の魏軍を破った。秦は著雍を手に入れて要塞にする。
    著雍攻略編で判明
  9. 紀元前239年
    毐国の建国
    太后と嫪毐が太原で毐国の建国を宣言した。同じころ、楚の媧燐が秦へ攻め込む。
    毐国反乱編で判明
  10. 紀元前238年
    加冠の儀と毐国の反乱
    政は雍で加冠し、成人の王になった。毐国軍は咸陽を襲うが、昌平君の軍と飛信隊に敗れ、嫪毐は処刑された。政は呂不韋から秦の実権を取り戻す。
    毐国反乱編で判明

紀元前237年〜(六国征覇編)17件

  1. 紀元前238年
    春申君の暗殺
    楚の考烈王が亡くなり、春申君は李園に暗殺された。同じころ、楊端和の山の民軍が魏の衍氏を落とす。
    黒羊丘編で判明
  2. 紀元前237年
    黒羊丘の戦い
    桓騎率いる秦軍が趙の黒羊丘を攻め、信が趙軍総大将・慶舎を討ち取った。羌瘣が桓騎軍の兵を斬った件で、信の戦功は取り消される。
    黒羊丘編で判明
  3. 紀元前237年
    斉王の来秦
    蔡沢の手引きで斉王と李牧が咸陽を訪れた。政は李牧の七国同盟の提案を退ける。
    黒羊丘編で判明
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  1. 紀元前236年
    鄴攻め
    王翦・桓騎・楊端和の連合軍が趙の鄴を攻めた。朱海平原で信が龐煖を、王賁が尭雲を討ち、兵糧攻めで鄴を落とす。
    鄴攻略編で判明
  2. 紀元前236年
    羌瘣の禁術
    龐煖との一騎打ちの後に息が止まった信を、羌瘣は自らの寿命を削る禁術でこの世に引き戻していた。
    什虎攻略編で判明
  3. 紀元前236年
    悼襄王の死
    趙の悼襄王が毒殺され、遺言で末子の遷が王になった。命を狙われた李牧は邯鄲を脱出する。
    鄴攻略編で判明
  4. 紀元前235年
    呂不韋の死
    河南に退いていた呂不韋のもとに不穏な勢力が集まり、呂不韋は毒を仰いで死んだと伝えられた。
    鄴攻略編で判明
  5. 紀元前235年
    什虎攻め
    秦と魏が3年間の同盟を結び、楚の要所・什虎を攻め落とした。什虎は約束どおり魏のものになる。
    什虎攻略編で判明
  6. 紀元前234年
    六大将軍の復活
    政は六大将軍の制度を復活させ、蒙武・騰・王翦・楊端和・桓騎を任命した。
    武城・平陽編で判明
  7. 紀元前234年
    平陽の戦い
    桓騎軍が平陽で扈輒の趙軍と戦い、扈輒を討ち取った。桓騎は降った趙兵数万を処刑する。
    武城・平陽編で判明
  8. 紀元前233年
    宜安・肥下の戦い
    趙の北部・宜安を目指した秦軍は李牧に包囲されて大敗した。六大将軍の桓騎が肥下で討たれ、桓騎軍は全滅する。
    趙北部攻略編で判明
  9. 紀元前233年
    韓非子の死
    秦に招かれた韓の王族・韓非子は、韓の諜報に関わっていたことが明るみに出て捕らえられ、毒を飲んで命を落とした。
    趙北部攻略編で判明
  10. 紀元前232年
    番吾の戦い
    王翦率いる秦軍25万が番吾を目指したが、李牧と司馬尚の青歌軍に敗れた。囚われていた壁は山の民に救い出される。
    趙北部攻略編で判明
  11. 紀元前232年
    三つの柱
    番吾の大敗の後、昌平君が「戸籍作り」「軍の編成改革」「韓の攻略」の三つの柱を献じた。
    韓攻略編で判明
  12. 紀元前231年
    南陽の無血開城
    秦全土の戸籍作りが終わり、増えた民から兵を集めて軍を立て直した。騰と信の軍が韓へ攻め込み、南陽を無血で手に入れる。
    韓攻略編で判明
  13. 紀元前230年
    韓の滅亡
    秦軍は英呈平原・東砂平原で韓軍を破り、王都・新鄭を包囲した。王安王が降伏し、戦国七雄で最初に韓が滅んだ。
    韓攻略編で判明
  14. 紀元前229年
    趙完全攻略戦
    韓を滅ぼした秦は、李牧との因縁に決着をつけるため、趙の王都・邯鄲を目指して全面侵攻を始めた。
    趙完全攻略編で判明